ザンビアの手帖

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※この記事は2026年2月の旅の記録をもとに作成し、2026年8月時点での最新情報に更新してあります。

前回の投稿ではタンザン鉄道でタンザニアのダルエスサラームからザンビアのKapiri Mposhiまで移動した記録を投稿しました。

ナイロビからスタートし、ついに今回はアフリカの内陸国・ザンビアです。

ザンビアは世界三大瀑布であるビクトリアの滝で有名ですが、それについては次回まとめます。

今回は、タンザン鉄道終点のKapiri Mposhiからザンビアの首都ルサカまでの道中と、ルサカを探索してみた内容、そしてルサカからビクトリアの滝までの行き方を中心に紹介します。

あまり馴染みがないゆえに、ザンビアにどんな光景が広がっているか楽しみです。

この記事は、ナイロビ(ケニア)から喜望峰(南アフリカ)を陸路で目指した旅のPart4となっています。これまでの旅の様子については以下のリンクをご参照ください。
Part1 ケニア         
Part2 タンザニア
Part3 タンザン鉄道
Part4 ザンビア        ⇦今回
Part5 ビクトリアの滝(ザンビア・ジンバブエ)
Part6 ボツワナ
Part7 ナミビア
Part8 南アフリカ

これまで

これまでの道のりと今回の移動経路

ナイロビからスタートし、だいぶ喜望峰(ケープタウン)に近づけた気がしています。現在、タンザン鉄道終点のKapiri Mposhi駅で、ここから首都ルサカを経由して、世界三大瀑布・ビクトリアの滝を目指します。

Kapiri Mposhiからルサカへの移動

タンザン鉄道を降りるといくつかの乗り合いバンが待っています。ビクトリアフォールへ直接行く乗り合いバンもありましたが、ルサカにも行ってみたかったのでルサカいきの乗り合いバンを探します。料金は1,500円ほどです。乗る前は三時間くらいで着くかなーと思っていました(普通はそんくらいでつきます)。

ルサカ行きの乗り合いバン

満席になるまで出発しませんが、電車を降りた人が一気に乗ってくるのですぐ満席になります。

アフリカの定員は定員の1.5倍

出発してからガソリンを給油し、タイヤに空気を入れるスタイルです。

乗り合いバンの空気入れ場

途中もどんどん人やら荷物が詰め込まれてぎゅうぎゅうです。一人から1,500円取ってたらまあまあいい商売だと思うんだけどなあ、そんなに頑張らなくても。

よくわからないものが積み込まれる

停車時にはいろいろなものが買えます。僕はとうもろこしを買いましたが、こういうものは美味しいのが相場なのに、このとうもろこしは穀物って感じであまりにも硬くてきつかったです。

とうもろこし

事故は突然起こります。快調に走っていたらいきなりバンが路肩に突っ込みます。走行中にブレーキが効かなくなり、前の車にぶつかるのを避けるために路肩に突っ込んで止まったようです。運転手のファインプレーで大事は回避されましたが、ザンビアに対する不信感が高まっていきます。

修理するために自動車整備場まで徐行で移動します。

ザンビアの自動車整備場

すると、運転手自ら車の下に入り修理し始めます。自分の車を自分で修理できるのがかっこよすぎます。

修理する運転手

みんなで見守りながら待ちます。

修理完了をみんなで待つ

30分ほどで修理も終わり、無事再出発です。途中で日本の会社のトラックに乗った豚や市場を通り過ぎます。

ルサカに着く頃には日が暮れかけていました。なんだかんだ五時間くらいかかったのではないでしょうか。とっても綺麗な夕焼けです。

ルサカの夕焼け

結局ルサカのバスターミナルに着いた時には日が暮れてしまっていました。ルサカはとても治安がいいですが、このバスターミナル近辺だけは例外です。

ルサカのバスターミナル

ここで、ビクトリアの滝に向かうバスのチケットを予約します。予約方法について、詳しくはまた後で書きます。

バス停はスマホを出せない雰囲気だったので、UBZの中でザンビアの配車アプリYangoの登録を進め、Yangoでルサカの宿に戻ります。


ルサカの基本情報

歴史

ザンビアはイギリスから独立した背景もあり、英語が通じます。

ルサカの歴史はこちら

ルサカ周辺には、もともとソリ人が暮らしていました。都市名は、この地域を治めていた首長「ルサーカ(Lusaaka)」に由来します。かつての集落は現在のオリンピア・パーク付近にあり、国会議事堂が建つ場所も ルサーカの居住地だったとされています。

20世紀初頭、南からカッパーベルト方面へ延びる鉄道がこの地域を通るようになると、駅の周辺に農場や商店、ホテルが集まり、小さな町が形成されました。鉄道に加えて、グレート・ノース・ロードとグレート・イースト・ロードが交わる交通の要所だったことも、その後の発展につながりました。

1935年、イギリス植民地政府は北ローデシアの首都をリビングストンからルサカへ移しました。国土の中央に近く、鉄道や道路で各地域へ移動しやすかったことが主な理由です。ルサカは当初から行政都市として計画され、政府庁舎や道路、住宅地が整備されました。

一方、植民地時代の都市計画には明確な人種隔離がありました。ヨーロッパ系住民のための住宅地が広く確保される一方、アフリカ人労働者はカブワタやカムワラなどの限られた地区に収容されました。現在の街に見られる地区ごとの景観や人口密度の違いにも、この計画の影響が残っています。

1964年にザンビアがイギリスから独立すると、ルサカはそのまま新国家の首都となりました。独立運動の中心地であっただけでなく、その後は南部アフリカ各国の解放運動を支援する政治拠点にもなりました。現在のルサカは、植民地政府が計画した小規模な行政都市から、ザンビアの政治・経済を担う大都市へと成長しています。

宿

Natwange backpackersがとてもいいです。バックパッカーの間での定番の宿のようです。朝食も豪華で、宿の中にレストランもあります。

移動手段

UberやBoltが使えずにYangoという配車サービスしか使えません。しかもこのYangoは、普通のクレカは紐づけられないので、乗車前に細かい現金を用意しておく必要があります。

ルサカの観光

いわゆる観光地らしい場所はありませんが、バス停の側の市場にはアフリカ布のお店が集積していて、買い物を楽しむことができます。この辺りはルサカの中では比較的治安も悪いので注意が必要だそう。

とにかくいろんなものがあります
地元客で賑やかなアフリカ布の店

アフリカ布は大きさにもよりますが、一枚千円ちょいくらいだった気がします。

一応アフリカの有名チェーンHungry Lionも実績解除しておきます。

Hungry Lion

ルサカからビクトリアの滝(Livingstone)への行き方

ルサカも少しのぞいたら、ビクトリアの滝のすぐ近くの街(Livingstone)へ向かいます。ちなみにLivingstoneという名前は、ビクトリアの滝を初めて(西洋的視点での)発見した人物の名前に由来するようです。嫌ですね。

ルサカからLivingstoneへはバスが出ており、出発場所と予約カウンターはタンザン鉄道からのバスが到着したバスターミナルと同じ場所です。とにかく色々なバス会社があり、客引きがすごいですが、UBZというバス会社が優良と聞いたのでそのオフィスを目指します。途中UBZの職員を名乗るものや、UNZは満席だからうちのバス会社を使えといってくる人たちがいますが無視して進んでいきます。

UBZのオフィス

UBZのバスは充電口もあり、エアコンも効いていて、日本のバス会社も顔負けの綺麗さです。なんと、ときどきバスの通路がモップがけされます。

UBZバス外観
UBZバス内観
バスから見えるマネキン倉庫

Livingstoneには夜に着きます。Livingstoneのバスターミナルでは、地元のタクシー運転手とYangoが縄張り争い推しており、Yango運転手はバスターミナル内に入れてもらえません。野良タクシーは料金交渉などめんどくさいこともあるので、ターミナルの敷地から一歩出たところでYangoドライバーを呼びましょう。

Livingstoneの基本情報

歴史

Livingstoneの歴史はこちら

リビングストンの歴史は、ザンベジ川とモシ・オ・トゥニャ(ヴィクトリアの滝)に深く結びついています。この地域には古くからトンガ人やロジ人などが暮らしており、滝は現地で「雷鳴のように立ち上る煙」を意味するモシ・オ・トゥニャと呼ばれていました。

1855年、スコットランド出身の宣教師・探検家デイヴィッド・リヴィングストンが、ヨーロッパ人として初めて滝を記録し、イギリスのヴィクトリア女王にちなんで「ヴィクトリアの滝」と命名しました。その旅行記がヨーロッパで広まると、宣教師や商人、探検家がこの地域を訪れるようになります。現在の都市名も彼の名前に由来します。

最初のヨーロッパ系入植地は、ザンベジ川の渡し場に設けられた「オールド・ドリフト」でした。しかし、川沿いの湿地ではマラリアなどの病気が多かったため、1905年ごろ、町は川から離れた現在の場所へ移されました。同じ時期に鉄道とヴィクトリア・フォールズ橋が開通し、南部アフリカから北へ向かう交通の拠点として発展します。

1911年、北西ローデシアと北東ローデシアが統合されると、リビングストンは北ローデシアの首都になりました。植民地政府の庁舎やホテル、商店、住宅が建てられ、現在も中心部には当時のコロニアル建築が残っています。

1935年に首都がルサカへ移ると、行政都市としての役割は小さくなりましたが、ヴィクトリアの滝への玄関口として観光都市へ転換しました。現在のリビングストンは、先住民の文化、植民地時代の街並み、鉄道の歴史、そしてモシ・オ・トゥニャが重なり合う都市となっています。

宿

Jollyboys Backpackersがとても良かったです。Wi-Fiが部屋まで届かないことはネックです。

食事

良さげなレストランがなかったので、スーパーで食べ物を入手しました。

Livingstoneのスーパー

ここでは惣菜が量り売りで売っていました。今回もまたウガリと肉の組み合わせです。

スーパーで買った夕食

おわりに

Livingstoneのメインであるビクトリアの滝については、ザンビアとジンバブエの国境に跨っており、内容が多いため、次回の投稿にまわそうと思います。

今回もご覧いただきありがとうございました!

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2件のコメント

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